ガラスの床板

かつて、キャリア志向の高学歴女性が、女性であるという理由だけで、管理者になれないことを、ガラスの天井と表現していたわけだが、実は、ガラスの板はもう一枚、私たちの足下にあって、つまり、ガラスの床板があって、その下でもがいている人たちが常に存在していた。
ガラスの床板とは、吉川徹氏が言うところの学歴分断線のことでもある。



ノンエリート青年の社会空間―働くこと、生きること、「大人になる」ということ

ノンエリート青年の社会空間―働くこと、生きること、「大人になる」ということ

読んだ。

最終学歴が大卒未満の若者たちの生活を描き出す。
バイクメッセンジャーの青年たち。
専門学校生たち(大学生のダブルスクールは除外)。
引っ越し業で働く人たち。
製造業の派遣・請負労働者。
大都市の周辺で生活する高卒女子。

最近では、低学歴層の雇用環境の悪化が酷く、頑張って働いても、未来に展望がもてない状況になっている。
大学には行かずに労働者となった若者たちの多くが経験していることなのだが、彼らの得られる雇用は、不安定なものばかりで、長期的な視点での人生設計が描きにくく、彼の持つリソースの貧しさ故に、その場しのぎを繰り返す以外に方法がない。

第四章の、製造業の派遣・請負労働者のレポートは、執筆者の参与観察であり、実際に一労働者として現場の内側を見たものである。
とくに自動車工場の現場レポートでは執筆者が製造ラインの監視役から暴力をふるわれる様子が描写されており、気分が悪くなる。自動車絶望工場そのまま、いやむしろ酷くなっているくらいではないか。

第五章は、大都市の周辺で生活する高卒の女性5人への5年間の追跡レポートとなっているが、この5人に共通するのは家庭の貧しさ。
家庭の資源の乏しさ故に、自立した生活を築くことが困難になっている。つまり、親自身の自立が困難であるため、子の自立も難しくなっているという、負の連鎖の構図がある。
ある子は、家計を助けるために、高校在学時からアルバイトを続け、卒業してからもダブルワークを続けているが、その彼女のがんばりは、まともな安定した職を得るのに、障害にはなってもプラスにはならないという、厳しい現実・・・。



かつての経済成長期ならば、進学せずに数年早く働き始めることに、「早く働いて早く自立して、親を楽にしてやる」という幻想をもつことができたけれど、今では、そのような幻想すらもてなくなっている。
なんとも難しい時代になったなぁと思う。