大野病院事件

2008年9月3日の福島民友新聞の記事

評論「大野病院事件の教訓」
共同通信編集委員
小川明

 出産の帝王切開中に大量出血で女性を死亡させたとして産科医が業務上過失致死罪などに問われた福島県大野病院事件で検察側は控訴を断念、福島地裁が八月二十日に言い渡した無罪判決が確定することになった。
 記録の改ざんや隠蔽がなかった通常の診療行為で意志が逮捕された初のケース。医療界が挙げて猛反発、最後は捜査当局の“撤収”で幕を下ろす異例な展開だった。
 そもそも警察の逮捕は行き過ぎで、そのボタンの掛け違いに検察側が引きずられた。控訴審で無罪を覆すのは難しい。控訴断念は妥当だろう。
 必要なのは、事件から教訓をくみ取ることだ。
第一に医療の刑事裁判には限界がある。過失の有無をめぐって個人の責任を問う刑事裁判に医療事故の真相解明で過度な期待はできない。
 今回も、癒着した胎盤はく離が大量出血による女性の死亡につながったが、その手術だけが審理され、大野病院で手術した是非や救命の可能性、産科医療の態勢まで踏み込んでいない。
 第二に、今回の判決は「標準的な医療措置」ならば医師の注意義務違反に当たらないと、業務上過失致死罪を医療事故に適用する基準を示した。
 これで医療行為が刑事責任から解放されたとみるのは間違いである。標準を逸脱して重大な過失があれば、刑事責任が追及される可能性は残る。
 今回の無罪判決で、医療事故の捜査にブレーキがかかりそうだが、実際には、医療現場で隠されているミスはある。
医療の厚い壁に阻まれて、医療事故の真相が闇に包まれたまま、不満を抱く遺族は少なくない。医療事故での適正な操作まで停止するような事態は避けなければならない。

真相求める権利

 医療事故の真相を解明するのに、限界のある裁判という手段しかないのは不幸な現実である。公正な医療事故調査の仕組みの構築が欠かせない。医療機関の自主的な情報公開と事故調査の必要性も一層高まっている。医療界が自浄作用を発揮すべきなのは当然だ。その責任は重い。
 中立的な医療事故調査委員会の設立については、厚生労働省民主党、一部の医学界の案が出そろっている。
 このうち、調査結果が刑事捜査や行政処分に使われる可能性のある厚労省の案には、医師の反対が根強い。医療界や司法の意見を聞きながら、十分に議論して構築を目指すべきだ。
 患者や家族には真相解明を求める権利がある。大野病院事件で死亡した女性の遺族は無罪判決後の会見で「今後の医療界に不安を感じる」と述べて配布した文書で「事故の原因を追及して反省すべき点は、反省し、再発防止に生かすべきだ」と訴えた。
 医療界は無罪確定に慢心せず、この提言を受け止め、患者と連携する道を探るときだろう。
 大野病院事件の無罪を、崩れかけた産科医療の修復や医療安全の一つの出発点としたい。


事件の全容が明らかになってない時点での、加藤医師をまるで殺人犯のようにあつかったマスコミ報道に対する反省なんてしませんよね。わかります。


この事件の真相が明らかになっていない時点から、地元メディアの報道姿勢は、「女性の死亡原因は医師のミスであり、医師が適切に処置していれば死亡は避けることができた。」というものであって、遺族に対しては、まるで殺人事件の被害者であるかのように接していた。
そのことによって、ただでさえ、事実を事実として受容することが難しい遺族の気持ちが、さらに歪み、硬化してしまったのだろうと思われる。

このケースは、今の産科医療を象徴する事件でもあって、この事件は、産科医療の課題を考える絶好のモデルもあったのに、事件の検証・産科医療の置かれた現状の検証などまったくせずに、地元メディアはただいたずらに、遺族の感情を代弁するだけに終始していた。