A案の問題
移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか? - 感じない男ブログ
と、それのブクマ
移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか? - 感じない男ブログ
森岡さんの脳死関連の議論を読んできた人は、この問いには、違和感を感じないだろうと思う。
そもそも、このような、目を背けたい、おぞましい問題を考えるのが生命倫理でもある。
僕は、脳死問題に関心があって、森岡さんの本を中心にいくつか読んだけれども、結局そういう、おぞましい問題に消耗してしまい、本を読んだり・考えるのをやめた。
子どもからの臓器移植というのは、本来こういう種類の問題なのです。物言わぬ1歳の心臓病のレシピエント候補もまた、死ねば(脳死になれば)ドナー候補となるのです。これがA案の切り開いていく世界なのです。
たとえば、A案提出の中心となった河野太郎氏は、この間のTVタックルで、脳死臓器移植を推進しない人たちを「人殺し」と言っていた(じゃ、臓器提供を拒否したら人殺しになるのかね?)。
言うまでもなく、臓器移植を待ちながら、それがかなわず亡くなった方は、誰かに殺されたわけではなくて病気で死んだのである。
A案は、そういう物言いをする人が中心となって提出された法案。
森岡さんのこのエントリーはそういう背景があって書かれたものなのであって、レシピエント側もA案によって深く傷つけられることがあることを危惧しているのだが。